岐阜地方裁判所 昭和42年(わ)322号 判決 1968年3月27日
主文
被告人を禁錮八月に処する。
但しこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
本件公訴事実中、負傷者救護義務違反および事故報告義務違反の各訴因につき、被告人は無罪。
理由
第一罪となるべき事実
被告人は自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四二年一〇月九日午前二時四五分頃大型貨物自動車を運転し、岐阜市早田山吹町附近道路を時速約四〇粁で西進するに際し、凡そ自動車運転者は常に前方左右を注視し進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、当時前照灯を下目の侭、前記速度で運転したのみか深夜で通行人はないものと油断し、漫然進行した過失により、偶々進路上を同方向に自転車を引いて歩行中の高橋竹次郎(七〇年)を早期に気付かず、同人の手前約五米に近接し初めて之を発見し、避譲措置を執ったが間に合わず、同人に自車右前部を衝突転倒させ、因って、同人に加療約三ヶ月間を要する右下腿開放性骨折の傷害を負わせたものである。
第二証拠の標目≪省略≫
第三法令の適用
被告人の判示所為は刑法二一一条前段・罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮八月に処し、情状により刑法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとする。
第四一部無罪の理由
一、本件公訴事実中、負傷者救護義務違反および事故報告義務違反の各訴因は
「前記の如く自動車を運転中、高橋竹次郎に負傷させる交通事故を起したのに、直ちに
(一) 右負傷者を救護する等必要な措置を講ぜず
(二) その事故発生の日時場所等法令に定める事項をもよりの警察署の警察官に報告しなかった
ものである。」
というにある。
二、しかしながら、右(一)の訴因については犯罪の証明なく、(二)の訴因については罪とならない。以下その理由を述べる。
(一) 救護義務違反について
道路交道法七二条一項前段は、交通事故があったときは当該運転者等は直ちに車輛等の運転を停止して、負傷者を救護する等必要な措置を講じなければならない旨規定するところ、≪証拠省略≫を綜合すれば、被告人は岐阜市伊奈波通りの道路改修工事現場から本件事故現場西方同市島地内の埋立地まで土砂を運搬投棄する作業に従事中本件事故を惹起し、約四〇米前(西)方で停止し下車して被害者高橋が負傷昏倒しているのを発見、しばし茫然と立ちつくしていたが、たまたま西方から乗用自動車を運転して事故現場を通りかかった今村高徳がこれを発見停車して被告人に声をかけたので、被告人は同人に「人が倒れているので救急車を呼んでくれ。」と依頼し、これを受けた同人が同所から東方の岐阜北警察署忠節橋警察官派出所に向う間、東方から軽四輪自動車を運転して事故現場を通りかかった高橋紀男もまた停車して声をかけたので、被告人は同人に「人が倒れているが、いま救急車を呼びに行ってもらっているからしばらくここにいてくれ。これから泥を捨ててすぐ引きかえしてくるから。」と申し向けおいて事故車で西方に走行立去り、土砂を投棄して約一〇分后に事故現場まで立戻ったところ、この間右今村、高橋両名は協力して同派出所勤務の警察官に報告するとともに救急車の派遣方を要請し、これに応じて出動した救急車が被害者を収容してまさに発進しようとしていたので、一旦停車して下車し、被害者が救護されたのを確認して現場を立去ったものであることが認められるから、被告人は負傷した被害者高橋を救護するにつき必要な措置をとったものというべく、結局本訴因については犯罪の証明がないことに帰する。
(二) 報告義務違反について
同法条項後段は交通事故を惹起した車輛等の運転者等に対し、当該交通事故の日時・場所、負傷者の数および負傷の程度等事故の態様につき、警察官に対する報告義務を課するところ、これらの事項が客観的犯罪構成要件に該当する事実であることは明らかであって、これらの事項の報告を受けた警察官が単に被害者の救護・交通秩序の回復の措置ばかりでなく、注意義務違反・故意過失の有無等当該運転者等の主観的責任原因等の追及についても当然関心をもつであろうことは見易い道理であるから、これらの事項の報告を義務ずけることは警察官に対し少なくとも事実上犯罪発覚の端緒となる事実の報告義務を課することに帰するものというべく、かくてこのような事項を報告した当該運転者等は自己の刑事責任を問われる危険を負担せざるをえざるにいたるというべきところ、いわゆる黙秘権を規定した憲法三八条一項の法意は、何人も自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保証するにあるものと解すべく、しからば道路交通法七二条一項後段の規定は憲法三八条一項に違反し、その九八条一項によって無効であるといわざるをえず、この理は右にいわゆる報告義務が行政手続上のそれであってもなんら異るところはないから、本訴因は罪とはならないというべきである。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 金野俊雄)